老いのひとこと②

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誰も開いて見る者が居なくとも誤りは誤りで当然訂正いたさねばならない。

先妻鉚は近吾を後妻治は近三と伴四郎の二子をつくった此の仮説は全く阿呆臭いほど出鱈目だ。

齢の順があべこべで話にならん。

根拠のない単なる推測憶測を並べ立ててもナンセンス、それを承知で意地を張った。

此れまた浅はかなる邪推にすぎぬが清三郎には正室鉚を娶る先に内縁の女がいて其の者が近三と伴四郎を儲けた。

此の近三、伴四郎、近吾の腹違い三兄弟は父と仰ぐ清三郎を半山君と呼び変えて野田山墓地より本来の菩提寺妙典寺へお連れ申した。

処が此の設定にも大きな破綻を来たしてしまった。

確たる証拠もなしに半山を清三郎に仕立てしまったが此れは在り得ぬ。

何故ならば此の墓の裏面に近三が認めた碑文には近三は自身を半山の嗣子を名乗る。

即ち近三は半山の養子であることを宣告した。

半山が清三郎なら清三郎には嫡子近吾がいる以上辻褄が合わない。

然すれば津田本家筋の7代目和三郎近知の養子十之進の消息が絶った以上は此の半山は津田和三郎以外考えられない。

今は亡き十之進に入れ替わり分家清三郎の倅が本家の養子になり本家の跡を継いだ。

此れにて一件落着めでたしめでたしである。