老いのひとこと㉞

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津田半山とは津田和三郎のことであり津田一幽家の本家筋の第7代目当主になる。

和三郎には実子なく分家筋の清三郎の子と思しき津田十之進近明を養子に迎えたが維新の政変に巻き込まれ消息を絶ってしまった。

それで同じく清三郎の子と思しき津田近三を再度養子として迎えた。

近三は養父和三郎を尊崇の念であがめ立て巌のような自然石でお墓を建てた。

それが「津田半山君の墓」になる。

和三郎→養子十之進→養子近三の流れを信じて疑う余地がなかったが郷土史家F氏からのビックな情報提供にて事態が一変してしまった。

何のことはない十之進が近三と名前を変えただけだという。

十之進と近三とは同一人物であったのだというのです。

 

分家筋の7代目当主を名乗った津田清三郎近猷は正室鉚を迎える先に側室の子として儲けた十之進と云う名の近三を本家の窮状を救わんと養子に出した。

本家の血統はすでに平太夫で絶え要人の血筋に乗り移ったと解せば十之進こと津田近三の胸中には察して余りあるものがあったであろう。

或いは今枝家の威光に圧倒され自ずと恭順の意を表したのかもしれない。

今やそれを詮索する術は何処にもない。

 

少なくとも平士500石の分際が御一新の世を迎え天下に敷かれた太政官令に

従い「少属(ごんのしょうのさかん)」の職階を得たにしても年給俸禄は26石に激減した。

俵に換算すれば65俵と相成る。

然すれば近三とて薄給の身を削って養父への敬意を此の自然石に託したのでありましょう。