老いのひとこと

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       無断掲載

バイデン大統領の就任式に色を添えてくれたアマンダ・ゴーマンさんを褒めちぎる新聞記事に出あった。

英語が判る筈もなくテロップの文字にも理解が伴わらずただ彼女の表情にだけ魅せられつづけた。

やはりその通りだった。

全世界の民衆のこころを揺り動かす名演説であったのだ。

あのヒラリーさんは彼女が大統領選に出馬する日が待ち遠しいとまで言い放った。

コロナ禍の中前大統領によってアメリカに分断がもたらされ終わりのない深い影(Never-Endingshade)を落とすが、傷つきながらも模索を続ければやがては新しい夜明けが開花し、光はいつもそこにやって来るという。

もしも光になる勇気を持つのならば・・・と

好いこと言うね、凄いこと言うね。

アメリカンドリームが此処に在り今それが適ったと微笑んだ。

奴隷の血をひく黒人が大統領選出馬の夢を語り今新大統領の為に詩を創り朗読しているのだと胸を張る。

それに引きかえ現実は虚ろな姿で立ち竦す齢老いし大ボスに向かって牝ザルがヒステリックに罵るさまには夢も希望も射し込む光の気配すら感じ取れない。

力なく喘ぎながらコロナに怯えながらまた明日から一日一日を生きねばならないのか。

 

 

いやいや、然に非ず。

そうではありません。

我が方にも居たではないか。

そうです居たのです。

「わたしは生きている」と炎天下に自作の詩を朗々と力強く謳い上げたあの娘さんが居たではないか。

沖縄の子だっはずだ。

アマンダ・ゴーマンが立候補を予告する2036年にはあの詩「生きる」の主人公も間違いなく被選挙権を獲得しているはずではないか。

あの娘に夢を託そうではないか。

わたしは草葉の陰から夕涼みをしながら見物することにしよう。