孫たちが手取フイッシュランドへ遊びに行ったらサービスに金魚を10匹お土産に貰ったのだと持ってきた。
我が家の小さな金魚鉢には以前からの住人が3匹も居て遺憾ながらこれでは共倒れになりかねないと孫たちを説得いたさねばなりません。
結局、大阪へ持ち帰ることを決めた矢先に孫の一人がとても素晴らしいグッドアイデアを提案して呉れたのです。
「子どもの日」の朝は見事に晴れ上がり五月の薫風に煽られた鯉のぼりたちが元気よくはためいている。
あの大空を泳ぎ回る鯉のぼりのように此の金魚たちも大きな川の中で泳がせて上げたいのだというのです。
此の案をみなが大歓迎してさっそく準備に取り掛かったのでした。
文字通り水を得た魚たちは自由なる世界に悠然と泳ぎ出て行ったのです。
願わくは末永く此の地を住処として住み着いてほしい。
そのような願い込めて孫たちが嬉々として川面を観察いたせば道行く人たちも共に覗き込んで歓声を発して呉れるではないか。
暫しの人盛りに魚たちも得意げに泳ぎ回ったように窺がえた。
ところが、せめて此の「子どもの日」の日中いっぱいは朝方同様澄みきった清流のままでいてほしかったのだが昼過ぎ頃より突然此の城谷川に異変が生じ清流はたちまち混濁した泥水に変わっていってしまったのです。
濁流は孫たち子どもの淡き夢をも儚くも流し去っていってしまったのです。
彼らが帰ってしまった翌朝にはいくら探せども金魚の魚影はどこにもなかった。
束の間の儚き夢物語でした。
孫たちも金魚たちも此の川に魚たちが居付くかもしれない淡き夢も何もかも消え去ってしまいました。
『汚水と共に去りぬ』でした。
何もかもみんな立ち去ってしまったのでした。
鯉のぼりも寂しく撤去されたのでした。