老いのひとこと

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此の連休にも大阪の息子は家族を連れてやってきた。


二三日の滞在だがその折には必ずと云ってよい程几帳面にも墓参を励行するのです。


明らかに嫁さんの実家からの影響に違いはない。


先祖を敬い大切に為す事はこれほど素晴らしいことはない。


むしろ、わたしが息子に見習うべきこと「老いては子に従え」という名言があるではないか。


「牛に引かれて善光寺」の例えのようにわたしは息子に引かれてお墓参りと相成るのです。


ところがこのわたしは野田山へ行ったは善いのだが、ついでにお参りがてら山菜採集に精を出す始末なのだ。


いやはや、何んとも申しようがない。


足もとにはヨモギの群生地が広がる。


未だ柔らかい新芽の部分を手折りしままに摘み取った。


別のカ所では野アザミの伸びたばかりの新芽を恐るおそる注意して採取しなくてはなりません。


軍手、鎌なしの素手の作業なので確かにちくりと痛い思いをしながら圧し折ったのでした。


早速、から揚げに処して夕餉の食卓に供すればよかろうと思ったのだが生憎にも彼らは今日中に帰宅したいのだという。


都会っ子たちに自然味あふれる野生の風味をと目論んでは見たものの恐らく孫たちは振り向きもしなかったであろう。


察するにソーセージやハンバーガーなら兎も角有難迷惑だと逃げ帰ることかもしれません。


 


翌日のわたしの食卓にはそのパリパリに揚がった野アザミの天婦羅があって口の中であの独特の棘の感触を程よく堪能させていただいたのです。