老いのひとこと⑦

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加賀八家に次ぐ人持組筆頭の今枝家人脈に造詣深い知友F氏より大変耳寄りな情報を頂いた。

いつも此のわたしはF氏のふんどしで相撲を取る下衆な輩なのです。

何んと要人は養父平太夫の内室の人であった堀十郎兵衛の娘なるお方を養父亡きあと

妻として迎えたというのです。

まるでテレビの時代劇や時代小説に展開されそうなストリーに只々唖然たる思いをいたす。

野暮ったい筋書きで面目ないが以下のように綴ってみた。

津田一幽近光の三男主馬の孫にあたる喜平太は津田本家の養子となり三代目を継ぎ喜平太近義を名乗った。

此の喜平太には嫡男平太夫が居た。

太夫は嫁に堀十郎兵衛の娘を迎えたのだが敢え無く夭逝してしまった。

其処で喜平太は養子を迎える運びとなるのだが此の養子こそが大家今枝恒明の嫡子要人(かなめ)其の人に他ならなかった。

本来ならば今枝家の血筋は初代内記重直→民部直恒→近義→直方→恒明→要人へと流れ此の要人は今枝家13千石の継承者と して名を連ねた筈ではあった不運にもタガが外れ薄幸の身と化した人物に他ならない。

家格の違いを顧みず要人は津田本家へ養子入りした。

実父恒明の不祥事も然ることながらその間の経緯は全く以って大きな謎に包まれるのである。

謎のベールは闇の中にあって何ら確証はないのだが要人は夭逝した喜平太の嫡子平太夫の内室の方を妻として迎えてしまった。

皮肉にも歴史のドラマが其処に展開した。

津田本家第6代目当主津田平左衛門近英が誕生するのである。

歴史のドラマは冷酷非情でもある。

最早津田本家の血統は平太夫で途切れ今枝・堀家の血筋に取って代わられたことにを相成りましょう。

そのような観点で妙典寺に鎮座する半山君の墓を見直さねばならなくなりました。