老いのひとこと(52)

霧に閉ざされし山道をさ迷い歩くが今一度辿りし道を逆戻りし元の分岐点に立ち冷静に方位盤に目を遣れば新たなるルートが浮かび上がってきたではないか。

此の水先案内を買って出られた人物が他でもない舟田敏氏である。

妙典寺に鎮座する津田半山の墓に対するわたくしの誤認識を根底から覆す新たなる一説をご披露いただいた。

卑猥なる憶測で歪曲されたわたしの解釈には正当なる根拠はなく津田本家へ養子入りした今枝要人は飽くまでもワンポイントリリーフであって津田本家第4代目平太夫の嫡男が本家第6代目を継ぎ平左衛門近英と名乗ったことになる。

此の近英の生母は堀十郎兵衛の娘で在り嫡男近英を懐妊出産した確たる確証を確認したとふなだ氏はいう。

 

従って津田一幽家の本家筋の血統は寸分の狂いもなく6代目平左衛門近英から7代目和三郎近知へと継承された。

ただ惜しむらくは和三郎には嫡男なく止む無く成瀬正居の実弟成瀬近三が婿養子に迎え入れられた。

近三は養父和三郎の娘を娶る形で帳尻を合わしたことになる。

近三は養父和三郎を尊崇の念で崇めて巌のような自然石で墓柱を建てた。

そして21世紀の現今我らは近三が養父和三郎の為に建立せし墓石の前に畏まって佇むのである。

近三が残せし此の文化遺産を末永くとこしえに継承いたさねばならないのである。