老いのひとこと

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わたしの母方のルーツを辿れば加賀藩5代藩主前田綱紀に仕えたという津田一幽近光にまで至る。


一幽近光には四人の息子がいて長男平太夫近智は津田家本家を継ぎ次男市郎左衛門は分家として代々営々と引き継ぎ今日までその家筋は存続する。


わが母方は此の次男家筋になる。


三男主馬は四男新太郎を養子に入れたのだが敢え無くお家断絶し家系は途絶えてしまっている。


此の津田家本家筋とは最早此のわたしは全く100%無縁なる存在で赤の他人の間柄に過ぎない。


それにも拘らず、何故かしら此の本家筋に無性に拘泥し続けるのです。


それは先日のこと妙典寺の過去帳の一部を閲覧した折に不可思議な記載を随所に見せ付けられたせいなのです。


本家筋の御当主「津田近三」は分家のことにいろいろ関与しているのです。


分家には御当主「津田近吾」が居るのに分家筋の「武平次」の墓や事もあろうに「清三郎」の三男並びに「近吾」本人の別称「香太郎」の子の墓にまでその墓主に「近三」の名が出てくるのです。


これはいったい何を意味するのだろう。


妙典寺住職の誤記とは考え難かろう。


全く解せない事態に陥ってしまったのです。


邪推的憶測に過ぎないが唯一考えられ得ることは此の「津田近三」なる人物は若しかして「津田清三郎近猶」の嫡男では在りはしないだろうか。


本家「十之進」の死去に際し分家の「近三」が本家へ養子入りした。


確証は何処にもない、根も葉もない推測だけでは罪深い暴挙以外何ものでもない。


でも此の謎を解くべく無い頭子を絞って鋭意励まねばなりません。


さあ面白くなったぞ。


何の足しにもならぬこと誰の為にもならぬことに心血注ぐ間抜け野郎が此処にいる。