老いのひとこと

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60年もむかしのこと、最初の赴任地は僻地3級の分教場であった。
通称「後谷」と称した旧菊水町でした。
三か年間、山の子らとともに苦楽を共にした。
スキーで骨折し村人総掛かりで市民病院まで担ぎ込まれたことがあった。
わが人生で最大の恩義を痛感させられた痛恨事でありました。
人の世の人情の温かさをいやというほど知り得た出来事でもありました。
終生忘れることは出来なかろう。
 
世間知らずの堅物ボンボンに社会勉強の手解きを施し給いし「コサのお父さん」がお亡くなりになられた。
当時の村の生業は製炭業、炭俵満載の大型トラックを「コサのトオト」は尾山( おやま)の街へ毎日運び出された
一週間の勤務を終えて帰り支度を致せば「小西のとうさん」から必ずお声が掛かった。
「乗って行かんがかいね」のお声に甘えていつも便乗させて戴いたことを思い出す。
山道を疾走する炭俵にしがみ付きわたしは光太郎の詩をよく口遊んだ。
その60年があっという間に過ぎ去った。
何故かしら「秋に祈る」は今も詠い続け忘れることはない。
この詩を口遊めば小西さんのお顔が訳もなく重なり合ってしまうのです。
その「コサのトオト」がお亡くなりになられてしまわれた。
89歳の天寿を全う為されました。
わたしが今此処に生を賜わり居るのもある意味、この小西さんのお陰だと思えるような歳になってしまいました。
 
葬式には参列が敵わなかったので遅ればせながらも未だご健在の奥方とご子息にご挨拶申し上げお焼香だけさせていただいてきた。