老いのひとこと

イメージ 1


イメージ 2




父忠勝、祖父勝太郎、ひいじい曽祖父は高橋政之丞後改名して精路と申し、ひいひいじい高祖父は高橋金之丞と申す人となる。


金之丞には実子なく政之丞は養子になる。


金之丞は39歳で夭逝し切米二十俵の足軽の身であった。


その金之丞が弱冠十六歳の文政十年の年に東本願寺の金沢末寺(真宗大谷派金沢別院)へ白銀十枚を寄附し永代お経の執行を願い出た驚くべき証文が我が身元に埋まっていたのです。


此の証文にみる日光宏院釋寂勝なる人物が如何なる者なるかは解からないのです。


何故ならば、高橋金之丞の寺は材木町の善福寺であったのだが明治3年の大火ですべて焼失し調べる手掛かりを全部失っている。


それにしても切米二十俵の足軽分際でしかも十六歳の若造が白銀十枚とは如何にも恐れ入るではないか。


その余りにも羽振りの好さはまことに信じ難い。


先日の事、敢えて玉川図書館近世史料室まで赴き白銀十枚の時価換算を聞いてきた。


それによれば、白銀1枚は63匁で10枚なら630匁、アバウトな計算だが銀1匁が2000円だとすれば126万円という馬鹿げた数字に化けるのです。


切米20俵は凡そ12,5石で今日の米価で表せば約43万円にしかならない。


年収の3倍以上を布施するとは此れお東への盲信か妄信かそれとも狂信としか思われない驚くべき信心深さに只々頭が下がる。


斯くなる証文が天保年間にも、また政之丞名義で嘉永安政文久、明治年間に各々1回ご丁寧にも施している。


我がご先祖は清貧に甘んじ信仰の道に帰依したと云えまいか。