滝川武雄先生の犀川河畔を描く油絵は何とキャンバス代わりにベニヤ板を用いている。
額縁も木製の質素な造りで見るからに物資欠乏時代の遺産であるかがよくわかる。
むしろ食べる物すら事欠くときによくぞこのような秀作を創り上げられたものだ。
芸術家の熱意と執念がおのずと伝わり来る。
作品の裏には昭和二十一年六月写す
犀川大橋を望む
瀧川武雄作と墨書きされる。
蛤坂の火の見櫓が一際高く聳え立つ戦前戦中には半鐘が打ち鳴らされ空襲警報のサイレンがけたたましく響いた。
戦後は時報に変わったが1993(平成5年)には撤去されたという。
恐らくは、大豆田付近の金沢紡績の巨大な煙突から黒煙が黙々と流れている。
恰も、昨日の光景を目にするような錯覚におちいるのです。
教えられたように精製水にエタノールと綿棒で洗浄作業に取り掛かる。
綿棒の先がドス黒く汚れることは汚れが落ちたには違いないが汚れた綿棒で幾ら擦れど汚れを拡散するに過ぎなかろう。
新しいのに取り替えるが直ぐに又汚れる。
根気との勝負になる、じれったい程遅々として捗らない。
だんだん綿棒が煩わしくなって脱脂綿を指に抓んで荒っぽくなる。
気が長くないと勤まらない。
気の短いものに気長にやれと云ってもなかなか難しい。
父忠勝に代わり滝川先生を風呂に入れて洗う。
身に余る光栄ではないか、遣り甲斐深き名誉ではないか。