老いのひとこと

イメージ 1
 
 
先日の「ためして合点」で剣玉やおじゃみや紙飛行機で遊べば認知症の予防に打って付けだと解説していた。
ならば試してみようと思い立ったが玩具屋さんへ行って買い求めるのも体裁が悪いので通販のアマゾンショップより一台仕入れることに致しました。
やって見るがなかなか上手くはいかない。
上手くいかないどころか全く駄目だ、全然乗らない。
実は何を隠そう、剣玉はずっとむかしに取った杵柄で御茶の子さいさい容易いものだと自信満々臨んだがそれがまったくダメだったのです。
 
今を去ること67年、敗戦の年の翌々年昭和22年(1947年)にはわたくしは新竪町小学校を卒業しました。
受け持ちは佐藤重友先生で6年3組に在籍していました。
卒業を間近に控えたとある日に佐藤先生は学級だけのお別れ会を企画なされた。
戦後の荒廃著しい中に於いては画期的な出来事だったのかも知れない。
病み廃れたわたしの心身を更生し再生し始める切っ掛けを作って戴いだ紀念すべきクラス会であったのです。
楽器の上手な人、歌の巧い人、本読みの素敵な人や詩の朗読を堂々とこなす人たちが次から次へと登壇して盛り上がった。
その内、剣玉名人の飯山六朗君が教壇に紹介され挑戦者として佐藤先生はわたしの名を高らかに指名されたのです。
どんな技を繰り出したのか全く記憶にはない。
飯山君に名人の座を譲ったことを何となく覚えているのです。
何の取り柄もない万引き非行の常習犯の此のわたしには此の剣玉披露の演舞は確かに立派な人生再生への檜舞台だったのです。
佐藤先生から戴いた温もりある教育的配慮は決して忘れることはない。
斯くなるほろ苦き思い出を呼び覚ましながらこれからの余生を再び剣玉三昧に打ち興じてボケ防止に相務めねばならないと思ったのです。