老いのひとこと

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つい先日のこと、画期的な情報を一つ入手したのです。


依って、わたしの母方「津田家」のルーツのほゞ全容が漸くにて掴むことができたことになる。


妙典寺に鎮座する物々しき自然石の墓碑「津田半山君」の墓の主がものの見事に解明したことになる。


妙典寺さんに過去帳の閲覧を無心いたし何とか許可を得て寺の庫裡にて床にへばり付き膨大な史料と壮絶なる格闘をいたしたことになる。


此の時、初めて世にいうお寺所蔵の過去帳とは何たるかを知り得たのです。


それにしても独特の字体でおまけに絶妙の筆遣いなので判読出来ぬままいたずらに時間だけが流れた。


小半時が過ぎたころに偶々見開いた墓籍簿の綴りに目を通せば其処に紛れもなく「近三」と「和三郎」の文字が重なり合うように見えてきたのです。


「しめた」「やったー」。


小躍りして同席の舟田氏と喜びを分かち合った。


「近三」が「和三郎の妹」の墓の墓主と明記される。


もうこれだけで充分なる確証になる。


此のお寺での証拠となる証文がほしかったのです。


「近三」は父の妹に当たる叔母の墓の世話をしていた。


ダメを押すように「近三」は養子に入った「今枝要人」の墓主の記載も確認できたのです。


つまりは津田家の菩提寺になる此処寺町の妙典寺は


津田家本家筋のお寺でもあった事が見事に判明したのです。


「和三郎」の嗣子( しし)が「近三」であることが判りました。


「和三郎」は晩年には「半山」と号した。


「近三」は養父「和三郎」の墓を「半山君」の墓と名付けて建立した。


又、寺の過去帳には「近三」は「津田半山」の墓主として明記される


ただ、残念ながら嫡子ではなく養子であったにしろ「近三」は間違いなく津田家本家を継いだことには違いはない。


 


ただ問題は此の「近三」は何処の誰なのか其の素性


が判らない。


「近三」の実父と実母はいったい誰なのか。


次いで、この寺の過去帳より「和三郎」の嫡男「十之進」が判明した。


つまりは、嫡男「十之進」が死去したので俄かに「近三」が養子となった。


此の間のいきさつも是非解明したい。


 


 


津田家分家筋に当たる「清三郎近猷」の嗣子が「近吾」と相成る。


「近三」と「近吾」に挟まれるようにもう一人「伴四郎」なる謎の人物が居る。


此の解明も待っている。


まだまだ目が離されません。


此の間いろいろ助言いただいた郷土史に造詣深き舟田さんに大いに感謝申さねばなりません。