老いのひとこと

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金沢に住んでいながら「額谷カネカヤブ遺跡」のことなど全く聞いたこともなかった。


何も知らないことに気付けばまだ増しな方かもしれない。


学ぶことはよいことに決まっている。


早速、埋蔵文化財センターへすっ飛んだ。


大変親切に対応してくだされ研究紀要の文献などをコーピーしてくださいました。


日頃、連日のように活用させていただいている額谷ふれあい体育館のフロアの真下には試掘トレンチ調査をしたが発掘物は何もなかったと報告されていた。


やれやれ、そうであったのか。


ならば、それでよし。


遺跡そのものは体育館に隣接する市の緑と花の課が営むリンゴ園一帯に広がっていた。


発掘時そこにも例の砦のような石垣が現れて地元の人たちは挙って此の地に「額谷城」の復元を関係先へ強く要望したらしいが確証にまでは至らず反故にされたのだと書いてあった。


若し、検証に堪えて此の地に山城が誕生しておれば新幹線効果はさらにより以上に倍加したであろうに惜しいことをした。


何れにしろ、此処額谷の地は縄文の昔から室町時代の富樫正親の代まで額谷の住民たちの立派な生活の場であったとは驚きではないか。


それが突然にも、加賀の一向宗徒による長享の一揆のまさに檜舞台となってしまい格式高き額東神社諸共燃え尽き全てが灰塵と化してしまった。


その後は荒廃したまま荒れ地に埋もれていたが平成2年時に額谷ふれあい公園整備に伴い遺跡埋蔵物がついに陽の目を見た。


我らが歴史遺産、文化遺産が衆目に曝されたことはこれほど目出度いことはない。