老いのひとこと

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妙典寺の庫裡に潜んで手に入れた史料は数多くあったが中でも飛びっきり得難き獲物が津田近三の住まいの地番でした。


金沢市穴水町2番丁2番地とある。


ただ問題は金沢に市制が敷かれるのが明治22年なので此の史料は比較的どころか随分と新し過ぎはしまいか。


それにしても此の情報を手掛かりにするしか手がないのです。


恐らくは藩政期にも此の住所に居をたまわっていたであろうと「延宝金沢図」を検索してみたのだが此れは幾らなんでも余りにも古過ぎよう。


それで天保6年(1835年)に完成した「金沢城下絵図」を紐解いてみたのだが極めて残念ながら県立図書館所蔵の此の史料で丁度穴水町界隈の該当ぺージが欠落しているではないか。


全19枚仕立ての絵図中9枚までも所在不明で如何ともし難かった。


第3ページを探そうにもないものはないのです。


此の「金沢城絵図」は外でもない遠藤高璟自作の超大作の代物だったので猶の事残念至極に存ずる次第だ。


空振り三振スリーアウトで試合終了に相成ったのだが此れがラストチャンスだと最後に合同庁舎へ赴き法務局の門を叩いてみた。


最古の土地建物台帳を閲覧してみるがやはり徒労に終わってしまったのです。


これにて万策尽き果て津田近三の末裔に辿り付く微かな望みは口惜しくも断念せざるを得なくなったのです。