老いぼれへぼ教師の回想記《68》

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試合に臨んで勝つことにだけに主眼を置いた。
とにかく人より速く打ち抜き、人より遠き間合いより飛び込むことを良とした。
如何にして、相手の隙を狙うか、相手に隙をつくらせるか、もっぱら空き巣狙いの稽古に励んだ。
当時はそれでよかったのかもしれないが、わたしは彼らに其のさもしき剣技すら十分に施し得ずに身を退いてしまったことは何とも心残りだ。
ましてや、剣の心にまでは遠く及ばなったのです。
彼らにこそ、剣の心とは何たるかを施したかった。施すべきであった。
すまんことです。
 
 
その五 挑戦と試練挫折の河北台(16)
 
 
新化館道場(6)
  
当時の部員名簿が手元にないのは、これほど重大な失策はない。
夭逝された阿部羅橋蔵君は覚えている。
高松出身の沖野武男君、長身の天井節子さん、近江吉弘部長、山田幹夫部長他にも大勢いた。
共に汗と涙を流しあった剣友の諸君の姓名を失念してしまった無礼を心からお詫びせねばならないのである。
浅はかなちっぽけな人間なりと、さげすまれても仕方がない。
いや、もう一人忘れがたき部員として新化館出身の片岡美登里君がいた。
基本に忠実な正しい剣道が板についていた。
確か弐段の腕前であったと記憶する。  道場の整理整頓や部員の指導に余念がなかったし部の運営に配慮したりして姉女房のような貴重な存在であった。
離任に際し餞別に九谷の湯飲み茶碗をそっと手渡してくれた。
私にとってはこの上もなく心和み心温まる忘れ難い思い出をつくってくれた人物なのである。今以て愛用している。