老いぼれへぼ剣士の夕雲考《65》

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 戦勝祈願の御守りを秘かに懐に忍ばせて立ち合った経験の主もいることだろう。恥ずかしながら、おのれ自身がそうだった。
 数珠を懐に印可認定の可否を決める仕合に臨み、念願成就をみて、弟子に向かい一心不乱に拝み通したという。
 考えてみれば、些か異常に映る。夕雲は、
 もはや剣士であるというより禅師に近い。
 この人は、俗世の勝負の世界をかなぐり捨ててしまっただけではなく、
流祖上泉信綱の新陰流「轉」 (まろばし)の術も師小笠原信斎の秘術「八寸の延金」も、更にはわが身が編み出した「無住心剣」までをもみな畜生兵法に過ぎないと言って否定し去り、究極の極意『相抜け』に辿りついた。
 勝負に於ける勝利も、死を意味する敗北までも否定し去ってしまった。
とてつもないスケールのでっかい人物ではないでしょうか。
 二十一世紀を牽引する地球上の数多のリーダーたちよ。
 目を見開いて猛省せよ。
 オバマよ、わかってほしい。せめて、あなただけでも・・・
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(20)
 
 
小出切一雲のこと=その12
  
 大事なことは、夕雲が弟子一雲と共に『相抜け』を成就した折に、夕雲感極まり香を焚き数珠取り出し拝み続けたという、この一場面にこそ総べてが集約されてはいまいか。
『相抜け』の魂が真珠のように光り輝き、この魂が我らが武士道精神のなかに凝縮した形で日本人の心の中に遺産として確と受け継がれているとわたしは確信したいのです。