『剣道はすごいぞ』
―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー
剣を執るものが勝ちたい、あわよくば生を得て生き延びたいと念ずること自体犬畜生と何ら変わらぬではないかという。
夕雲と一雲の師弟は「相討ち」なる剣技を畜生剣法と蔑み且つ戒め、行き着く果てに「相抜け」に到達した。
通常のオーソドックスな剣風の中にあって豪く次元の異なる高尚にして高邁なる剣技を編み出していったものだ。
此処に至ればもはや剣理を離れ人としての原理・哲理に等しい。
さぞかし此の両名は今様ノーベル平和賞に値する逸材に思えてならない。
本当の負け犬にならぬために
その二・・キーリング イーチアナザー 相打ちか
相討ちの技は剣における必勝の道であり、相討ちの理念こそ剣における最高の極意であると先人たちは認めてきた。
しかし、針谷夕雲はこの相討ちをも否定し、一切埒のあかない“畜生剣法”として蔑んだ。
犬畜生と何ら変わらぬ“畜生心”に過ぎないと決め付けた。
それを承知でお互いに決死の覚悟で討ち合い、あわよくば生を得たい。
生き延びたいと思うこと自体が獣同然の畜生剣法だと結論付けたのです。
そして、晩年七十歳にしてようやく夕雲は三十四歳の弟子小田切一雲と共に相抜けの技を編み出すに至る。
激しく打ち合った両者がその瞬間、双方が勝敗を超越した生死をも超越した闘争する心のない絶対的自由と絶対的平和が脳裏をかすめ二人は生を得たまま相抜けたのである。
生きることを否定し合う剣がお互いに生を肯定し合う剣にまで昇華し登り詰めたのです。
世界文化史上まったく例を見ない実に画期的な出来事だといっても過言ではないのです。
夕雲はこの相抜けを成就した折に一雲に感謝の意を表して香を焚いて数珠を手に一雲を拝み続けたという。
生涯にわたり三回試み三度とも成功したのだ伝記は伝える。
一方、葉隠の山本常朝も日々死に身となり、一切の私心を忘れ去って修行を積み重ねれば長き一生を奉公できる身になれることを強調している。
従って定朝も生の否定論者ではなく立派な生の肯定論者といえるのである。
いずれにしろ、江戸の昔に市井の一剣士が争いのない絶対平和を命を賭けて創り上げている事実は何と天晴れなことではありませんか。
本来、わが日本国は平和に徹した国柄なのだ。
そんな意味で今に生きる剣を志した者たちにとっても誇りとすべきことだと思うのです。
今にして思えば、果たしてイラク侵攻とは一体何だったのだろう。
ちなみに鈴木大拙はこの相抜けを Mutual escape または Passing byあるいは Going through と表わした。
是非、戦後に英文に翻訳された大拙の《続 禅と日本文化》をブッシュさんにも読んでほしいところだ。
プリンストン大学の図書館へ行けば閲覧できるのである。
ところで、なんとも埒のあかないわれらでくの坊には相抜けの技なんて遠く遠く及ぶことの出来ない雲上の理想郷に過ぎないのです。
従ってわたくし如き木偶の坊は、せめて二つ目の努めとしてこの相討ちに活路を見出さねばならないと思うのです。