『剣道はすごいぞ』
―伝統と文化を大切にしてよりよい日本国をめざそうー
本当の負け犬にならぬために
鈴木大拙先生は小出切一雲が著わした「夕雲流剣術書」を英文に表わし欧米に紹介された。
剣の極意が「相討ち」から「相抜け」へ昇華し浄化する事を逸早く碧眼の異国人へ知らしめた。
身の丈知らずの嘴黄色き不束者が其の一雲の書に手を入れて掻き雑ぜている。
畏れ多くして甚だ片腹痛しと云えましょう。
その二・・キーリング イーチアナザー 相打ちか
そのことを禅僧であり直心影流の剣士でもあった大森曹玄禅師がその著書《剣と禅》の中で明らかにしている。
その題名は 「 Zen and Japanese culture」で戦前発行された岩波新書本の「禅と日本文化」の続編と相成るのだという。
ただし、この続編は未だに日本語に訳されてはいないのである。
原典の関連ページをコピーし,送付していただいた。
大森曹玄の著書「剣と禅」の中で針谷夕雲は相討ちの技について次のように述べている。
概要を端折って要約すれば、夕雲は単純に自分より力の劣る者には勝ち力の勝る者には負けるという。
でも、自分より力の勝る者と勝負をするとすれば《相討ち》に持っていくしかないのだという。
もちろん、息の根の止め合いという真剣勝負なので凄絶な死の恐怖が体全体をとりまく、すると早く死んだ方がこの死への恐怖心から解放されて、今すぐにでも安楽を手に入れることが出来るんだと信じ込み必死の想いで相手へ切り込むのである。
息の根を止めるには、多分上段または八双の構えからこめかみまたは首筋目掛け一の太刀にてお互いに袈裟に切り結んだであろう。
もちろんチャンバラのように双方が同時に打ち合うメクラ打ちでは決してない。
先の先をとるか、後の先をとるか、あるいは相手の打突の拍子に合わせてその太刀に乗って切り落とすかのいずれかであったでありましょう。
実力に多少差があったにしても、とにかく先に死ぬ覚悟をした方が勝利に近付けることを夕雲と一雲は論証したのです。
一見、生命軽視も甚だしい死に急ぎのようにも覗え得るがその背後に必ずや何かが在ったのでありましょう。
・・・必然的に「相討ち」は「相抜け」へと繋がることなのでしょう。