老いのひとこと

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春になって外歩きには地下足袋姿が定着した。


恥ずかしさも照れくささも全然感じなくなった。


にも拘らず未だ足袋自体が自分の足に成り切ってはいない。


何処となくしっくり来ないし歩いたと云う成就感が今少し盛り上がらない。


 


偶に都会へ行けば男も女も皆の衆が胸を張った大股で靴音高く闊歩する。


速いなあ恰好が好いなあと呆れるほどに感心する。


それに肖ろうと年寄りの癖に背伸びを試みるが身体が付いては行かないのは此れ又当たり前のこと。


地下足袋でそれを遣ろうとすれば猶のこと巧くいかない。


どうも可笑しいと「正しいウオーキング」のページを開けば此れまさに目から鱗ではないか。


胸を張って大股で踵着地爪先蹴り出し況してや ( ひかがみ )伸ばして歩くなんて愚の骨頂とある。


愚かなる人間だけが為す愚挙なりと貶してあった。


膝や腰にダメージ及ぼすは必至と解説されていた。


面白いものです。


物事には裏と表が在る通り物の見方にも正反対の見解もあり得ることを知った。


昔の日本人がそうであったように忍者のように忍び足でそろりそろりと音もなくまるで能舞台の能役者のように又神殿での神主さんのように摺り足に似た歩みを為せばそれで好いことに気付いたのです。


成る程、此れは武道の摺り足ではないか。


但し、路面の凹凸にけつまずいては元も子もありません。