老いぼれの夕雲考≪135≫

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口が腐っても云ってはならぬこととは承知の上ながら、それは恐らく世俗の目からすれば、まさしく八百長のように映ったのだろう。
科学的に理性の目で観察すれば、神懸かりな技であり、能舞台での能役者の立ち振る舞いそのものに近かったのだろう。
恐らく当時ですら、この「相抜け」を真実理解し得る力量の持ち主はほとんどいなかったのではあるまいか。
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(18)
 
小出切一雲のこと=その10 
  
最悪の事態を回避するべく、一歩下がり譲歩する。
そこには自己犠牲・自己否定の哲学があるのではなかろうか。
その間の、わたしなりの稚拙過ぎるアホみたいな見解を6月2日と6月8日投稿したブログの中で開陳させていただいているのです。
 
 
 
2011.6.2投稿分 

本日午後には不信任決議が決着しよう。共産・社民両党は棄権を報じていた。
天晴れかな、相抜けの業をわれらによくぞ披露した。
此のドタバタ劇を夕雲は墓場の陰で嘆いている。相も変わらず畜生剣法に明け暮れする愚か者めがと一喝しているではないか。
ムーチャル ストライキング ダウン なのですよ。共倒れなんですよ。
何と憐れなることか。


でも現代の剣客甲野善紀氏は、この針谷夕雲に注ぐ目はネガテブとしか言いようがない。些か残念至極に存じる次第なのだが・・・

甲野善紀は夕雲をどのように観察し評価したか=其の1


その間の経緯については、現世の剣客であると同時に押しも押されもしない論客の第一人者としても著明なる甲野善紀氏が明快に分析された。
針谷夕雲に始まる無住心剣は小出切一雲から万里谷圓四郎義旭へ継承され四代目川村秀東の代で自然消滅したのだという。
その依って来たる最大の要因は、この流派には具体的な剣の術技の裏付けが極めて希薄なのだという。
対峙する双方共に受ける、外す、避ける、躱す、捌く等の変化の技は無視する。若しくは度外視し皆目眼中に入れることがない。
ただひたすら、相討ちにのみ専念する。相討ちに撤する内に、打たれることを気にしなくなる。
→打たれて負けることを気にしなくなる。
→打たれるかもしれない不完全なる己自身を捨て去るようになる。
→すると不思議にも己だけが一人勝ちするのだと意識し始めるのだという。
 甲野氏は重ねて、剣の術技ほど身体的なハイテクノロジーの最たるものがないにもかからわず、この夕雲流剣術は心的充足度が極点に達し、気力が充実し昇華し切った情況下で成立する極めて心的要求度が強力なる剣法なのだと論破された。
 即ち、無住心剣は唯心論とか気の論理、心身論に根差した心法そのものであり、禅修行の帰着点なのだとおっしゃる。           

 
2011.6.8投稿分


 現代の論客甲野善紀は無住心剣の針谷夕雲を物の見事に切り捨てた。完膚なきまで打ちのめし論破された。
 剣の術技が伴わない心法だけの剣術は根無し草同然世に定着するは難し、いかに鈴木大拙が肯おうがやはり一顧だにされぬ存在なりと豪語された。

 先日六日のブログで触れた梅棹忠夫の「理性対叡知」の論法に従えば、どことん剣技の合理性を追求すれば行き着く所は殺伐とした破壊への道を辿ろう。
これは、人なるがゆえの業であるという。
そこで、この業なることを自覚しおのれをコントロールし今までとは違う生き方を模索するべく叡知を働かせねばならない。
暗黒の中に一筋の光明を見つけ出さねばならないと梅棹忠夫は指摘した。
 心の中に新たな剣術を築き、知的なる生命体を真剣に鋭く追及し叡知を働かせた江戸初期の剣客針谷夕雲はまさに梅棹忠夫の先先の先を行く卓越し人物のようにわたしの目には映るのです。

「理性対叡知」を「相打ち対相抜け」に連携させることには論理の飛躍がありますですよね。アマチュア擬似思想家気取りで実に恥ずかしい。


甲野善紀は夕雲をどのように観察し評価したか=その2

彼我双方共に、己だけが一人勝ちするのだと意識するに至れば相抜けと相成ろう。
 相抜けが成り立てば彼我双方共に共栄の道を歩むこととなる。
 処が、相抜けが成立すれば同じ流派の中に師弟の間柄ながら、頂点に立つものが二人と生ずることとなろう。
然すれば早晩、師弟の間で雌雄を決する事態と相成ろう事は必至となる。
 事実小出切一雲は、弟子万里谷圓四郎義旭に敗れ去り、その円四郎義旭は一雲の兄弟弟子に当たる片岡伊兵衛の秘蔵の弟子中村権内なるものに不覚を取ってしまうのである。
 処が、その中村権内は自分の弟子である加藤田新作と一戦を交えたが、権内は弟子新作に及ばず敗れるのである。
 そのいずれも、相抜けの業に辿りつくことなく、相討ちにて決着をつけたことになる。
 そして、その折に中村権内は「我も及ばず」と口にしたのだという。
 片や、加藤田新作の口からは「我、神陰得たり」と発せられ、決して「我、無住心流を得たり」とは口にしなかったという。
 この時点にては最早、相抜けを極限に設定した無住心剣の神髄は地に落ち変わり果て、その源流たる流祖松本備前守尚勝の鹿島神傳神陰流にまでタイムスリップしてしまったことになる。
 つまり、心的要素に彩りされた心法的剣術は時の流れに身を晒し、その当事者からも見放されて、何時の間にか普通の剣術に先祖返りをしてしまうという憂き目を見たのだと、かの甲野善紀氏は鋭く斬り込まれたのである。
 いかに無住心剣が当代一流の剣の最高峰だと鈴木大拙師に言わしめようが、剣の術技を等閑に伏した剣術である以上は、それはあたかも根無し草同然に、その存在の根拠を失う宿命にあったのだとのご指摘なのである。
確かに、言われるように無住心剣術はその存在価値を見失い自然消滅したことになる。                         

暗黒の中に一脈の光明を見つけ出さんと、心に新たな剣術をイメージし、知的な生命体を真摯に鋭く追及し、すごい叡智を働かせたのが針谷夕雲ではなかったでしょうか。
 
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(19)
 
 
 
小出切一雲のこと=その11
 
 
『相抜け』の存否は兎も角として、剣技としてその存在価値が有るのか無いのか、有効なのか無効なのか、認可されて然るべしとするのか認可するに当たらない代物なのか、そんなことは此の際問題ではない。
わたしにしたら、どちらでよいことなのだ。
何はともあれ、針谷夕雲は掴みようのないとてつもなく大きな「相抜け」という大技を世に問うたことだけは間違いなさそうだ。
 戦勝祈願の御守りを秘かに懐に忍ばせて立ち合った経験の主もいることだろう。恥ずかしながら、おのれ自身がそうだった。
 数珠を懐に印可認定の可否を決める仕合に臨み、念願成就をみて、弟子に向かい一心不乱に拝み通したという。
 考えてみれば、些か異常に映る。夕雲は、
 もはや剣士であるというより禅師に近い。
 この人は、俗世の勝負の世界をかなぐり捨ててしまっただけではなく、
流祖上泉信綱の新陰流「轉」 (まろばし)の術も師小笠原玄信斎の秘術「八寸の延金」も、更にはわが身が編み出した「無住心剣」までをもみな畜生兵法に過ぎないと言って否定し去り、究極の極意『相抜け』に辿りついた。
 勝負に於ける勝利も、死を意味する敗北までも否定し去ってしまった。
とてつもないスケールのでっかい人物ではないでしょうか。
 二十一世紀を牽引する地球上の数多のリーダーたちよ。
 目を見開いて猛省せよ。
 オバマよ、わかってほしい。せめて、あなただけでも・・・
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(20)
 
 
小出切一雲のこと=その12
  
 大事なことは、夕雲が弟子一雲と共に『相抜け』を成就した折に、夕雲感極まり香を焚き数珠取り出し拝み続けたという、この一場面にこそ総べてが集約されてはいまいか。
『相抜け』の魂が真珠のように光り輝き、この魂が我らが武士道精神のなかに凝縮した形で日本人の心の中に遺産として確と受け継がれているとわたしは確信したいのです。