老いのひとこと

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加賀の国は真宗王国と云われる。


今でも県民の9割が真宗門徒だと聞く。


わが実家も真宗善行寺の門徒に違いない。


だが分家したわたしには寺がないのだが成り行き上わたしもその仲間内になるのかも知れぬ。


それにしても全く信仰心なく呆れるほど無頓着なままだ。


其れでは拙かろうとお坊さんの話を聞いたり親鸞の映画をみたり歎異抄を開いてみたりして開眼を促そうと試みるがどうしても目覚めが好くない。


恐らく魂胆が捻くれていて猶その上に鈍感なのだろう。


おのれに呆れるばかりだ。


 


真宗のお坊さん方は「自力」では救われないとはっきり貶し見下げる。


「他力」の優位をあからさまに誇示なさる。


佛さまの教えにしては結構えげつなく俗人的に映って仕方がない。


 


「自力」でも「他力」でもない


「禅」でも「浄土」でもない


救いの道はないものだろうか。


(自力+他力)÷2=X


Xがないはずがない。


必ず在ろうはずだ。


其れを探し求める内に時が過ぎ歳が過ぎ日が暮れ西方に日が落ちお陀仏さんになってしまう。


 


 


病に罹ればお医者さんに縋り付く。


その半面自分の体内に潜む自然治癒力に淡い望みを託す。


此れと一緒じゃなかろうか。


でもその内何時かはお陀仏だ。