老いぼれの夕雲考≪134≫*

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 川川村秀東 ( ひではる )は自著「辞足為経法前集」の中で師真里谷圓四郎義旭が先師小出切一雲を「相打ち」にて打ち負かし、終ぞ「相抜け」は成就し得なかったのだと記述したという。


恥ずかしながら、わたくしは明き盲 ( あきめくら )同然で古文書は読めない。


従って、キヌタ文庫より十二万円の大金を叩いて「辞足為経法前集」を買い求めても意味を為さないではないか・・・


情けない想いを囲っていた矢先、突如思わぬところより朗報が転がり込んだ。


富永半次郎著「剣道における道」巻末付録にお目に掛かることが適ったのだ。


活字に組まれた覆刻版ではあったが、強烈なるショックを給わった次第なのである。


 


 


『夕雲流剣術書』ーはじめに(12)


 


 


小出切一雲のこと=その4


  


 ただ、この当たりの経緯について、極めて意味深長な興味深い考察を、彼の針谷夕雲研究の第一人者を自負する甲野善紀氏が《剣の精神誌》の中で開陳されているのである。


既出の川村秀東著「辞足為経法前集」の中で真里谷圓四郎義旭は師匠小出切一雲に『相抜け』を挑んだが、圓四郎が師一雲を相打ちにて破ってしまったのだという。


 


 


前回にも述べるように古文書読解力乏しき悲哀を再認識せざるを得ない。


極めて悲劇的な局面、圓四郎が師一雲を打ちのめし「相抜け」相成らんと書き表す触りの部分だけでも此の目で確かめたいが敵わない不甲斐なさにげっそりなのだ。


処が先日県立図書館より、いとも簡単にお目当ての史料を探し得た。


判読不明の箇所も多々あったが、おおよその概要が掴めた。


重苦しい思いで接し、気分優れることは少しもなかった。


同時に、圓四郎一派の一雲観への宿命みたいものを感じとった。


とにかく、わが身の勉強不足をいやますます痛感するだけなのです。


 


 


『夕雲流剣術書』ーはじめに(13)


 


 


小出切一雲のこと=その5


   


無住心剣の教義を脅かすような、存立にかかわるような忌々しき事柄が今日云う処の、ある種の暴露本のようにして公にされてしまった。


兵法上極めて重要な流派の流儀とか教条という門外不出の秘め事が衆目に晒されてしまった事と相成ろう。


 


富永半次郎というお方はシャカの仏法から、仏教とゲーテを比較検討したり、とにかく広範にわたり日本文化を掘り下げられた。


わたし如き凡夫には縁遠い高邁すぎるお方である。


その富永先生が、太平洋戦争の真っ最中に剣客針谷夕雲をば最も見識高き人物であると評価した。


その理由付けとして、人間の闘争行為をどことん煎じ詰めれば闘争の否定に至る。


「相抜け」の思想には、人類の将来への希望の灯が見出し得ると断言された。


平和の「へ」の字も存在しない此の時代に、敢えて夕雲をクローズアップすれば、下手をすれば当局から反戦論者に見立てられなくもない危険性が大いにあったはずだ。


先生の勇気と良識を評価したい。


 


 


『夕雲流剣術書』ーはじめに(14)


 


小出切一雲のこと=その6


  


この事を、今次大戦末期の昭和19年に中央公論社より発刊された富永半次郎著による「剣道に於ける道」の中では「相抜け」を高く評価された。


もっとも、富永半次郎氏を心から師事する石塚寿夫氏は巻末に川村秀東が著わす「辞足為経前集」を掲載し、「相抜け」相為らずの決定的場面の一部始終を再燃させれたのである。


処が、それにも係わらず無住心剣の極意技『相抜け』を信じて止まない日本人同士の共同体意識があって今以って信奉され続けている実情が一方には厳然として存在するのだととあるお方が指摘なされる。


 


 


剣を遣う剣技としての刀法ならば形とか組太刀が仕組まれ代々修錬の積み重ねが可能ではあるが、こと心法で剣を遣うとすればその秘伝奥義を口伝または伝書にして代々継承されねばならない。


修錬の中味次第では重大な齟齬を来し、必ずしも正確に伝承され得ない危惧が生じよう。


無住心剣にも、此のちょっとした盲点を突かれた嫌いがある。


 


『夕雲流剣術書』ーはじめに(15)


 


小出切一雲のこと=その7


 


此の針谷夕雲神格化論に異論をぶちまけられたのが、外でもない甲野善紀氏に違いがない。


『相抜け』を批判的に捉え、取るに足らない愚策に過ぎないと氏独特の畳み掛ける独自の論法で多大なる資料を駆使しつつ、それを根拠に無住心剣を素手で叩きのめされたのだ。


 


 


剣の理法を修錬すれば、行き付くところに人間形成があるのだろう。


剣の理法を修錬するとは、剣技たる刀法を究めることだろう。


刀法を究めれば、ようやくにして人間形成に到達し得る。


つまり、人間形成が相成れば心法をも修錬した聖なる剣者に成り得る。


『相抜け』を否定し去ることは、聖なる剣者をも否定することになり、とても淋しいことに思える。


類稀なる剣技を宿す剣の達人であっても、そこに人としての心を宿さざれば取るに足らない不逞の輩に過ぎないではないか。


 


 


『夕雲流剣術書』ーはじめに(16)


 


小出切一雲のこと=その8 


 


甲野氏は、『相抜け』が事実無根の虚偽なるウソの剣技であることを実証した第一人者であることを自負されていられるのである。


同時に、『相抜け』のタブーを公開したという功績を自ら認めていられる。


 此の神聖にして深遠なる領域を、ただただ私如き盆暗者が単純至極に両断してみてもナンセンスかもしれない。


 夕雲と一雲の子弟間には『相抜け』が成り立ち、この両者は聖なる剣者であることが証明された。


 処が、一雲と圓四郎の子弟間には『相抜け』が成り立ち得なかった。


 この両者は聖なる剣者には成り得なかったという事であり簡単明瞭なことではないでしょうか。


 つまり、刀法こそ成就したが心法を究めるには至らなかった。



『夕雲流剣術書』ーはじめに(17)

 

 

小出切一雲のこと=その9

  

しかし、夕雲と一雲が「相打ち」の剣を畜生剣として蔑み、『相抜け』の技を暗中模索して確立した。

この両者が目指した高尚なる志しは普遍的に是認されて然るべきものだと確信したい。

純粋培養された剣術理論の中では、仮にその存在価値が否認され抹殺されようが、無住心剣並びに『相抜け』の剣理は永遠に評価されて然るべしと言いたい。