老いぼれへぼ剣士の夕雲考《40》

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 鈴木大拙というお方は、生涯をかけて『霊性の自覚』を追い求め『即非の論理』を突き止められた。
 『即非の論理』という目には見えない得体知れない大きな大きな網のようなものに覆い被さっている鈴木大拙の世界、それがわたしの目の前に巌のように厳然としてある。
 ところがからっきしダメなのです。
 ちんぷんかんぷんなのです。
 
  郷土が誇る偉大なる仏教哲学者が何故以って然程著名ではない江戸時代の剣客針谷夕雲に着目したのか。
 からっきし何にも知らないものが訳も分からずに不遜にも絡み付いてしまった。
お許しくだされ。
 
 
まとめ(5)=その1
 
⑧ 鈴木大拙の名著、戦前に岩波文庫より出た「禅と日本文化」には、殊更針谷夕雲のことも「相抜け」のことにも一切触れられてはいない。
戦後に、それを補完し加筆された英文による大著「Zen and Japaners Culture」の中では、どうした事か夕雲と一雲の名前のみならず「相討ち」「相抜け」「琥珀和尚」「無住心剣」を解説しているのである。
恐らく、禅を欧米の人たちに説く上で「相抜け」の技は必要不可欠な要件を満たしていたのだろう。