うらなりの記《41》

イメージ 1
 
 
我が子の不祥事にいたたまれず、父は進退伺いを出すに至った。
その心中たるや察するに余りあるものがある。
親なるがゆえに果たさねばならない責任があったのだ。
幸いにも結果的には事なきを得た。
半世紀後に私自身が安堵の肩の荷を下ろしたのです。
 
ただ一つ気掛かりなことがあった。掲載する履歴書の文面に見る、”・・公職より除去するに関する件は・・該当しない判定云々”の下りが気になり、先般県教委に赴き然るべき担当者よりお伺いを立てたところ実はそれは、終戦直後のマッカーサー司令にもとずく思想信条等の調査を意味し、個人的な個々の事例は含まれないとの回答を得た。
改めて、事なきを得て安堵した次第だ。
 
 
そういえば、細野さんお若いのに立場上のけじめを毅然とした態度でお示しになった。
十分とはいかないまでも即座に責任を取られた。実にアッパレ。
ブータン国王と同じほどの清涼感をいただいた次第だ。

 
 
その三 父高橋忠勝(20)
 
万引き(下)=その1 
 
 
 
 
 
実は私が古稀を迎えた時点で既に父忠勝の存命年数を凌駕してしまっていた。
とにかく、居た堪らない想いで父の実態を調査しなくてならないという衝動に駆られた。
三馬小学校にて事情を懇願して父の履歴書の複写を求めた。
紛れもなく父忠勝は此処 金沢市 立三馬小学校校長の座を昭和三十四年三月三十一日付けで定年退職したにもかからわず、個人情報の秘守義務等をあげつらい固辞し続けるのだが、嫡子であることを証明し、ようやくにして入手した貴重なる史料に他ならない。
幸いなことに、平教員に降格された同じ昭和二十三年八月三十一日付けで父は 金沢市 立百坂小学校の校長職に任用されているのである。父は四十八歳にして校長職を射止めたことになる。
私に関わる、この一連の不祥事は父の身分上に事無きを得たことになる。喜ばしき出来事に違いがない。私は心底、安堵した。
ただ、私には以来マンガ本を忌み嫌うという著しき傾向を身に付けてしまった。今以ってマンガを好まぬ融通の効かない堅物なのだ。