老いのひとこと

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雨の中咲いてくれた



小さな秋をふたつ見付けました


 


*10月9日はぽかぽか陽気の秋日和、なぜか淋しかったぼーくの庭にはーなが咲いたではないか、むかし流行った旋律が耳元をかすめる。


朝顔の花は秋の季語とは言え一向に咲く気配すら覗わせなかった我が家の琉球朝顔の花が突然何を思い出したのかひょっこり目を覚ました。


それもたったの一輪だけが健気にも咲いてくれた。


いやいやそうではない。


盛夏の頃には鳴かず飛ばずで長い間ご無沙汰したと申し訳なさそうな風情にも映る。


 


そう云えば十日前には沖縄に新しい知事が誕生したその歓びを遠慮がちに表現しているようにも伺えて仕方がない。


 


追い掛けるように今日は二輪咲いてくれた。


 


 


*翌日10日の「体育の日」の早朝いつもの会場へ赴く折に路上に横たわるガマガエル君の無惨なる轢死体に出くわす。


避けて通ればよいものをわざわざ近寄り接写する。


冬眠を前に餌を求めて深夜徘徊中に事故に遭ったのでしょうか。


わたしは意地悪く敢えて其のデジカメ画像を少年に見せてしまっていた。


良識を欠く思慮浅き行いで在ったかも知れぬが少年のちっちゃな胸中がぴりっと動き生命の何たるかを感じ取って呉れればそれで良いと思った。


薄気味悪い気持の中にほんの少しだけでも哀れみを悲しむ気持ちが同居して呉れればそれで良いではないか。


 


幼き彼はわたしの数少なき友人の一人とも云えよう。


 


 


後刻、処理に赴けば跡形もなく姿を消していた。


きっとカラスが気を利かせて呉れたのであろう。


 

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