うらなりの記《67》

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 極めて頑なにして浅はかな態度で終始してしまった。
 今少し人としての細やかなる配慮と胸襟を開いた男らしい雅量と度量を何ゆえ持ち得なかったのかとおのれ自身を激しく責め、そして悔いるのだ。
またしても取り返しのつかぬ失態を演じてしまった。わが人生はまさに失敗の連発なのだ。
 
 
その六 高橋家の相続(6)
 
 
 昭和四十四年三月に父忠勝はこの世を去り、その十六年後の昭和六十年四月にはミサオは利治・恵美子両人と正式に法的養子縁組を結んだ。
 高橋家は利治夫妻により名実ともに継承されたことになる。
  処が、その三ヵ月後の昭和六十年七月二十二日に義母ミサオは寂しく他界してしまった。
 父忠勝は母ミサオを伴って野田山の当家の墓地に眠るのである。
 私は、父忠勝と母ミサオに対し、そしてミサオに血縁ある人たちに対し、更には利治に対し恵美子さんに対し衷心より懺悔しなければならない、併せて感謝の気持ちを表明しなければならないのである。
 どうも済みませんでした。