うらなりの記《68》

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 一振りの脇差を持っているが、決して自慢話をするつもりはない。わが家に伝わる唯一の家宝と云ってよい。
藩政期には、此処加賀藩では辛うじて、足軽は最下層の士分として一応苗字帯刀は許された。
 切り米二十俵の極貧の分際で、よくぞ加賀の名刀「友重」を所持し得たものだ。
 恐らく文政8年(185年)ころ存命した五世の祖父大橋喜ヱ左衛門まで遡ることではあるまいか。
 後代の者たちは、太刀と短刀の揃いは金策に窮して手放してしまった。
 惜しいことをしたものだとつくづく思う。
  
その七  友重(1)
 
 高橋家の相続に係わる一切の権利を放棄する旨、金沢地方裁判所へ出向き今は亡き鉄二ともども公証人立会いの下にて宣誓し署名捺印した。  
 利治にすべてを委ねることに同意したのである。
 それにもかかわらず伝家の宝刀たる『友重』の一振りを何故以って私が所持するにいたったのか、不可解なことだ。
 確かに不可思議なことであり、私自身普段より負い目に感じていたのである。
 そこで、この際その間の経緯を申し述べて置かねばならないと自責の念に駆られながら決意した次第なのだ。