老いぼれへぼ剣士の夕雲考《》68

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いつの世にも、変人奇人の類は居よう。
空鈍こと小出切一雲は、晩年には妻子とてなく裏長屋にて独り侘びしく自炊生活に甘んじたのだという。
その人に宛がわれた、貧富の格差は
人力の及ばぬことなのだと平然と清まして一生を終えた武人で在られた。
 七十七年の生涯ではあったが、老衰と共に疾病をもらっても門戸を閉めて来客受け容れず、やがて屍と化した姿で発見されたのだという。
 言う処の孤独死なり。
 二十一世紀の今日でも、そのなりあいは延々と続くのである。
 師夕雲と共に樹立した『相抜け』の奥義は、無念にもわが在世で以って頓挫挫折してしまった。
 第三代目圓四郎への継承断念の憂き目が、この孤独死に痛々しくも拍車をかける。
 でも、諸々の教養で武装した空鈍こと一雲なら一糸乱れぬ厳然たる面立ちで最期を迎えたであろうことを希う。
 鉄舟同然の尊厳死であったであろうと、わたしは何を差し置いても、そう確信したい。
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(23)
 
 
小出切一雲のこと=その15 
 
没後37年過ぎた1743年(寛保3年)10月に春桃院五世であられる慶雲禅師が拝観者のために墓表「虚空鈍霊火塔」を建てられたという