老いぼれへぼ教師の回想記《67》

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閉校の翌年にかつての学び舎を訪問したことがある。
いの一番真っ先に足はおのずと道場へ向いていた。
然れども、開かずの扉と化し重々しき施錠に世の無常を知らされた。
 
 
 
その五 挑戦と試練挫折の河北台(15)
 
 
新化館道場(5)
  
  その翌年に三門敏雄氏が着任された。三十年配ではあったが物凄い馬力の塊のような御仁であられた。
氏の辞書には疲労という文字は存在することなくねちっこく、これでもかこれでもかと際限なく掛かってこられた。
これぞ正に個性派的剣風の持ち主であられた。
氏とはよく互角稽古に汗したものだ。しかし腕力・体力・根気力に勝る氏にはいつも敵わなかった。
勿論、ただがむしゃらに健腕のみで掛かられたという意味では決してない。
惜しむらくは、氏には振りかぶりし剣が若干体の後ろで右に傾く性癖があった。  惜しいことであった。後刻お逢いした折には弓道の道を歩まれていられるとのことであった。
氏は商業科の指導の面でも熱血漢でいられた。今以て年賀のご挨拶を戴いている。