老いぼれへぼ剣士の夕雲考《67》

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春桃院(南麻布)
小出切一雲は、その才覚を剣術に活かすのみならず古今東西学術書を存分に (こな)し切り一角 (ひとかど)の剣術観を見事に打ち建てた。博識な教養人であった。
その基礎学力は、若き頃半井驢庵 (なからいろあん)塾で医術と共に培ったものでありましょう。
師針谷夕雲ともども、その功績は末永く後世に伝承して然るべき人物だと、わたしは確信する。
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(22)
 
 
小出切一雲のこと=その14
 
一雲は、その後京都へ上り一両年ほど過ごして再度江戸に帰り、増上寺付近の御掃除町に住み、筆と剣の二藝を生涯の楽しみとしたのだという。
そして、1706年(宝永3年)4月26日に七十七歳でもって世を去った。
麻布仙台坂の春桃院にて葬られた。
遺言により墓表は建てなかったのだという。