無住心剣の印可を認定しようと一雲は弟子圓四郎と仕合ったが「相抜け」に至らぬどころか「相打ち」にて一雲は弟子圓四郎に打ちのめされてしまったらしい。
それでも、一雲は弟子圓四郎に真面目なる印可を授けたことになる。
この辺りの経緯については、素人のわたしにはよくわかりません。
とても説得力があっておもしろい。
空鈍に因みわたしの戒名を釋正鈍にいたそうと思っている。
『夕雲流剣術書』ーはじめに(21)
小出切一雲こと=その13
一雲55歳の年に25歳を数える弟子圓四郎に真面目 (しんめんもく)を授けたと記録には残る。
そこには、同門の剣士として鷲尾八兵衛(浪士)、宇野小軒(浪士)、佐野勘左衛門(旗本)、田川七右衛門(秋田淡路の守家臣)等の名がある。
一雲57歳の1686年(貞享3年)に門弟たちからの懇請を受け、「天真獨露」及び「夕雲流剣術書」を著わしたことになっている。
同じく1689年(元禄2年)一雲60歳にして隠居いたし薙髪して空鈍を名乗ったのだという。