老いぼれへぼ剣士の夕雲考《66》

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無住心剣の印可を認定しようと一雲は弟子圓四郎と仕合ったが「相抜け」に至らぬどころか「相打ち」にて一雲は弟子圓四郎に打ちのめされてしまったらしい。
それでも、一雲は弟子圓四郎に真面目なる印可を授けたことになる。
この辺りの経緯については、素人のわたしにはよくわかりません。
また、「天真獨露」は小田切一雲の著作物ではなく、針谷夕雲が口述したものを琥珀禅師が記述したのだとおっしゃるのが富永半次郎先生の説である。
とても説得力があっておもしろい。
空鈍に因みわたしの戒名を釋正鈍にいたそうと思っている。
 
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(21)
 
 
小出切一雲こと=その13
 
 
一雲55歳の年に25歳を数える弟子圓四郎に真面目 (しんめんもく)を授けたと記録には残る。
 そこには、同門の剣士として鷲尾八兵衛(浪士)、宇野小軒(浪士)、佐野勘左衛門(旗本)、田川七右衛門(秋田淡路の守家臣)等の名がある。
一雲57歳の1686年(貞享3年)に門弟たちからの懇請を受け、「天真獨露」及び「夕雲流剣術書」を著わしたことになっている。
同じく1689年(元禄2年)一雲60歳にして隠居いたし薙髪して空鈍を名乗ったのだという。