老いぼれの弓事始め《13》

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 6月19日第15回目に当る最終回は午後7時半開催、座射一手を披露する。
 生半可な理解度のまま出番を迎え、案の定矢番えに手間取り胸中益々焦燥感と不安定感を増した矢先に取り懸け不備なまま引き分け、会から離に至った瞬間不調和音と共に弦が右頬を痛打し眼鏡がすっ飛んでしまったではないか。
 悲哀感と屈辱感がわが全身に覆い被さって来た。
 幸い大事には至らなかったが、唯一わたしだけの此の大失態に狼狽の色隠せず失意と落胆はその極に達してしまった。
 この精神的外傷を引き摺ったまま終了式に臨んだのだが、最後の挨拶に立った市連の会長さんの講評に皆夫々に長短はあるのだが短のみが占めて長の無かざりし方はいなかったと評された。
 上手下手はあれどもピカリと光る処の物を持ち合わせない人は一人もいなかったという意味合いを語られた。
 この言葉で私は救われた。
 不肖此のわたしにも人知れぬ好い行状があったのだと理解できた。
 弓の道を極められた達人なるがこその名言であった。
 わたしはこころより感服申した。
 弓を続けてみようという気になり始めていた。