老いぼれへぼ剣士の夕雲考《52》

 
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人を斬ることが当たり前の時代に、そういう多くの武士たちの中に風変わりな異端の人がいてもおかしくない。
むやみやたらに人を斬ることに、自責の念を抱き人を斬らずに済むような剣法を編み出していった奇特な剣客がいた。
女々しい奴だという輩には言わせておけばいい。
わたしはそうは思わない。非常に立派だと思う。
尖閣諸島で中国漁船衝突の折、時の官房長官仙谷さんの、あの奇特な対処法を思い出した。
あれでよかった。あれが真の愛国心ではなかったのかと今でもそう思っている。
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(7)
 
針谷夕雲のこと=その7
 
直心影流第4代道統者たる小笠原源信斎の弟子に針谷夕雲と並び紙屋傳心斎がいて、67歳の時、剣術の本意を仁義礼智の教えに求めて己を捨て、直心を説き、邪心と非心を絶たねば自然にもとると、真新陰流を直心流と改めた。
人を斬るに非ずして、己の邪心と非心を斬ることに剣術の主眼を置いた。
非切を以って剣の極意とした。
源信斎の弟子たる此の両者針谷夕雲と紙屋傳心斎には、一脈相通じるところがあるのです。