うらなりの記《53》

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ナツメの木
そのむかし、叔父の住まいは早道町にあった。
ひだりてに甘柿の大木があり、その後ろにスモモの大きな木、その陰に枇杷の木、もう一つ後ろにまた渋柿の木が立っていた。
みぎてに折れた一番奥まった箇所にナツメの木が在った。
よく断りもなく失敬した。天罰でよく毒毛虫シナンタロウ君にやられたことを思いだす。
 
 
その四 母とし(8)
 
津田家の人たち=その8 
  
見ての通り、高橋家と津田家の家格には、格段の相違があるは歴然とした。
にもかからわず、母はそのような素振りは微塵たりとも示さなかった。
元よりそのような人ではなかった。
 母の実弟津田全は大正二年二月十七日に全二・重の長男として 金沢市 森町 ・現扇町に生まれた。
以来、並木町、主馬町、桜木参ノ小路、早道町百二十二番地へと転籍・転居を重ね晩年には 金沢市 弥生町 二丁目一番三十二号に自宅を構え、この地で生涯を終えた。
金沢市役所の税務畑で叩き上げ税務局長、更には財務部長にまで登り詰めた。
飾り気のない実直そのものの好人物で、私らにとっては良き叔父であった。  
無類の野球好きで市役所チームを率いた監督でもあった。