うらなりの記《55》

 
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遊就館前にて
 妙典寺には、津田家に関わる墓石が四基もあるとは些か魂消る次第。
 そのうちの一つが、母としの弟二郎さんのものだ。
 重ばあさんから、話は能く聞かされたがわたしは此の二郎叔父への記憶は皆無だ。
 先年、“靖国”を訪れた折には初対面の叔父に深々とこうべを垂れてご挨拶してきた。
 
その四 母とし(10)
 
津田家の人たち=その10
  
 武雄氏死去に伴い伊藤家の檀那寺を妙典寺に移し、現在は津田家の墓に隣接して建てられている。
 なお、津田家の墓は津田全が改修した祖父津田近吾の墓と同じく津田全が建立した実弟津田二郎のものと二基存するのである。
 実は後刻、津田美樹氏より伝え聞いたことながら寺町妙典寺の最も奥まった箇所に津田家本来の古き墓標を見い出し得るが、表記の文字が判読できぬほどに腐食が進んでいるのだという。
 先般、当該住職より一切指摘がなかったことは些か不可解なのである。
 なお、大正五年生まれの二郎叔父とは生前の面識はない。昭和十四年に中華民国山西省の第二十師団第二野戦病院にて名誉の戦死を遂げた。靖国の御霊と相成った。陸軍伍長の肩書きであった。