老いぼれへぼ剣士の夕雲考《54》

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小出切一雲の幼名を長谷川石英というたらしい。
剣術ではなく医術を志し、将軍家の侍医を務めた名医半井驢庵 ( なからいろあん )に師事したのだという。
塾頭まで勤め恕庵 ( じょあん )と称したのだと「日本古典作者事典」にある。
驢庵は、現在の神奈川県海老名市地内に将軍家光より領地を賜り私塾瑞寿館 ( ずいじゅかん )を営んだ。
その屋敷の一角に明国より取り寄せたハルニレの木を植えたという。
誰云うとはなしに、その木を「なんじゃもんじゃの木」と名付け樹齢三百五十年の威容を今日まで長らえている。
石英を名乗った頃の若き小出切一雲も、この木を見上げながら医学に勤しんだと思えば実に微笑ましい。
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(9)
 
小出切一雲のこと=その1
 
2 小出切一雲のこと
 
小出切一雲は針谷夕雲の弟子にあたる。
1630年(寛永7年)に岩代国会津郡に生まれた。
 幼少のころは長谷川石英を名乗り医学を志し、半井驢庵の家塾にて塾頭を相務めた程の人物であったという。恕庵と称した。
 学識に富んだ一雲の素養はこのようにして培われたのだろう。