老いぼれへぼ教師の回想記《56》

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 採用時点での後ろめたさに加え、申し分のない能力を囲うわけでもない凡庸なる“デモシカ教師”が大それた野心を抱くほど烏滸がましいことはないのだと篤とおのれに言い聞かせた。
 そこで、鳥井信治郎の“やってみなはれ”張りの心意気で高校転出を決意したのだけど、その挑戦は無惨な結果に終わるだけであった。
 やっぱり、だちゃカン奴だとわが身で我が身を甚振 ( いたぶ )るように痛みつけた。
 
 
その五 挑戦と試練挫折の河北台(4)
 
 
士族の商法=その4 
 
 男として生まれた以上は当然頂点を極めることを胸とするべきではあったが、私の良心が許さなかった。
 出発時点で到達点を等閑に付した訳ではなく、蔑ろにした訳でもない。  
 強いて表現するとすれば気が引けて身を引いたとでも言っておこう。
 気障な言い草だがわが良心が許すことがなかったのだ。
それくらい私には異常な出発点を秘めていたのだ。 いずれにしろ中学校勤務より高等学校の教師の方が自尊心を満たし得ると実に現金極まりない判断をしたまでのことである。
勿論、高校の平教師として骨をうずめることをおのれに言い聞かせ納得もした上での第二の船出であった。