老いぼれへぼ教師の回想記《50》

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あの火災は、ベトナム戦争が終わった昭和50年(1975年)のことでした。
スマップの面々も二才か三才、香取さんは生まれてもいない。
そのスマップが平成14年(2002年)に『世界に一つだけの花』を世に出した。
競争社会を痛切に批判した。
ナンバーワンよりもオンリーワン!
生きることに自信を失いかけていた老いも若きも諸々の日本人たちに立ち上がる気力を与え給うた。
実に画期的デビューでした。
わたしは感涙に咽んだ。
 
 
その四   鳴中や通り過ぎたり駆け足で(11) 
 
火事の事=その1
 
 
 いろんな風評や憶測が飛んだらしい。でも、どのような中身かは、まったく知らない。
知ろうとも思わなかった。ただ、テストの前日であったことが何を意味するかについては考えさせられた。
 受験制度がある以上選別による人間の格付けが執り行われ、優者、劣者の峻別がなされるのは当然である。
 また、もう一方で戦後の民主主義教育の申し子として確立した平等思想が国民に浸透したが故に、人間として生まれた以上は皆等しく努力次第によっては優者と成り得ると信じてしまう。
それも、あながち誤りとは言われないだろう。
 即ち、このことを過大に評価して、努力することにより皆等しく優者・勝者と成り得るのだと信じ込む嫌いが生じてしまった。
 親がなし得なかったことを子に託する。逆に、親が為しえたのに何故わが子に限ってできないのかと過剰に叱咤激励する。
 だからそれ故に、若しもわが子が優者・勝者に成り得なかったとするか、あるいは成り得る可能性が薄くなったと言うだけで、その矛先を学校へ向ける。
学校の教育方針が悪い、熱意がない。
教師の教え方が拙いからだと決めて掛かる。
いかにも日本国憲法には思想・良心の自由が保障されている以上心情的に対教師にたいし悪意・敵意を抱くまでは許容範囲であろう。  でも、行動に移してしまうことはあまりにも論外すぎる。
 斯くなる親の見解を子どもの面前であからさまにする。
対教師批判や学校非難を公然と口外する愚行を、子どもは子どもなるが故に親の意向に同化させられてしまう。
 
 あるいは親の過大な期待感が重荷となり、重圧に押し潰され遂にはおのれの実体が優者・勝者から次第に遠ざかる切迫感から少なくとも親にだけは悲哀を見せたくないという強い衝動に駆られたことも考えられないことはない。
 
 また、ライバルとの対抗意識が過剰となり格差がまた一層広まりはしまいかとの危機感や焦燥感が異常に働いてしまったのだとも考えられないことはない。
 
 はたまた、学習することの意義とか生きていること自体に対し懐疑的な自意識が働き、虚無的なる閉塞感に陥ってしまったとも考えられないこともない。
 いずれにしても将来への夢とか希望が、ふっと芽生えた絶望いう名の淵の中へ吸い込まれ行く心理状態を醸し出すに足る世相の真っ只中にわれらが存在するのだということです。
 現今の受験制度や教育制度の功罪を論ずるつもりはないが、斯くなる感慨に陥り、そしてこのような心境に引きずり込まれねばならないのは此の受験制度が存在する以上当然なる成り行きにはならないだろうか。
 決して極々少数の異常なる異端分子だけの問題ではない。
この校舎焼失事件は、この世の不条理に気付いた子たちが打ち鳴らした警鐘に他ならない。子たちの悲痛なる叫びに違いない。
 此の国の将来を真実おもんぱかる良識ある大人なら、此の叫びに真摯に耳を貸さねばならぬのである。