老いぼれへぼ剣士の夕雲考《49》

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虎伯禅師
 
夕雲は、刃毀 ( はこぼ )れで砥ぎ直す手間が億劫なので刃挽きで人をぶった斬りしたほどであったのだという。
余ほど強かったのだろう。その無敵の豪傑が、何故お寺の坊さんに帰依 ( きえ )したのか。
心境の変化を来す何かがあったのだろうが、誰も解らない。
いや、問題は此の心境変化の由縁を知りたいのである。
そこに一番大切なものが隠されているはずなのです。
京都にある臨済宗大本山東福寺」の別院として江戸にあった駒込の天澤山「龍光寺」に虎伯禅師を尋ね謁見 ( えっけん )したのだという。
 
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(4)
 
針谷夕雲のこと=その4
 
 
無学文盲の人であったが駒込の龍光寺、虎白和尚の下に参禅し、40歳過ぎの頃より独自の兵法を編み出し和尚より「無住心剣」と名付けられた。
兵法を離れて、勝理を明らかにした。つまり、勝ち負けを度外視して拘らず、本当の意味で勝つことの理を明らかにしていった。
刀剣による勝負より心胆による勝負を説いた。
人性天理の自然に安坐するところに剣の理を見出したのだという。