老いぼれへぼ教師の回想記《54》

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 おのれの醜聞をおのれが暴く、戯けた御人好しがいたものだ。
 情実人事とかコネ採用は恥ずべきことです。
 仁義に反する反社会的不正行為であり法律により処断さて然るべき事柄を、今まさに公けにしてしまった。
 始末に負えない愚か者なのです。
 併せて同時に、おのれが紛れなく“デモシカ教師”であつたことを今ここに宣言する。
“デモシカ”であったが故に、おのれの能力のなさを自認いたし、正規の教師像を追い求め、わが身なりに必死に努力したことをも、此処に宣言したい。
  
その五 挑戦と試練挫折の河北台(2)
 
士族の商法=その2
 
 昭和34年、その卒業の年は父忠勝の定年退職が待っていた。
父は当時の川上市教委管理主事との交渉を持ち代替人事として私の採用を内定させたらしい。
表沙汰にすれば問題化したであろうが、要人たちには何人かの人事裁量権が許容されていたとのことであった。
わたしは正規の採用試験を受けてはいない。
とはいっても、欠員補充のための試験を川上主事の執務室にて受けた。「教師に当たっての抱負と心構えについて」と題して論文が課せられたのである。
更に幾ばくかの間、口頭試問を受けた。威厳ある人物に映った。
数日後に再び訪れた折、正式に採用決定の通知を受けた。
石川師範閥という隠然とした勢力を教育界に囲っていたことはやはり頷かざるを得ない。
 市庁舎を後にしたときの光り輝く陽春の温もりに、わが青春に栄光の勝利を掴みけりと全身に歓びを味わった。