老いぼれの独り言

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53の数値は多いのか、それとも少ないのでしょうか。
 
先日の朝刊社会面に大きく掲げられました。
天下の公器たる新聞は此の53の数値から何を訴えようとしたのか。
その意図が何であったのか知りたい。
学校の先生から体罰を受けた子供の数が53人もいたと思うのか、それとも53人しかいないのかと思うのか。
公器の主人公たる記者さんはどちらを読者に訴えたかったのでしょうか。
疎いわたしにはよく分かりませんでした。
的外れかも知れないが、わたしが考えるには学校の先生に打ん殴られるなりして体罰を受けた53人の子供さんは逆説的暴論ではあるが寧ろ幸せな子だったと思わざるを得ない。
それが僅か53人しかいなかったとすればいかにも寂しすぎはしまいか。
とにかく、先生から不条理な事ながらも愛の鞭を戴いたのだから少なからず感謝して然るべしだと思うのです。
体罰を与えし当事者たる此の方々は教師道に命を賭す熱血教師像の象徴的存在だとわたしは思う。
愛の鞭が真実愛の鞭として有効に作用したのか真摯に検証する謙虚な態度を失わない限り、無用に萎縮したりおのれを卑下する必要はさらさらない。
 
ただ、53の數は氷山の一角に過ぎないと思う。
教師とて人間、わが身の保身術で身を隠し体罰教師の烙印を恐れるあまり見て見ぬふりせざるを得ない立場も分からぬでもない。
人間なら必ず過ちを犯そう。
ところが、累犯直らず過度の過ちを繰り返せば誰しも厳しく咎められて当り前。
にも関わらず何らの諭しも注意さえもなく相手にされない可哀想で不幸せなお子さんたちが果たしてどの程度存在するのか。
此の教師にも相手にされない可哀想で不幸せなお子さんたちの実態を知る手立てはないものだろうか。
水面下で喘いでいる数多くの不憫な子供たちに愛の手と愛の鞭を授けねばならない。
その為にも教師力の復元と少人数学級と真の教育再生の為の国民的コンセンサスを築き上げねばならないのではないでしょうか。
そんな意味からも新聞は天下の公器としての役割はとても大きいのだと思うのです。