老いぼれへぼ剣士の夕雲考《36》

 
 
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                       老子道徳経
 
 
直木三十五はそれは夥しい数の時代小説剣豪小説を世に出していられるが、殊更剣術を嗜まれることはなかったという。文武両道には至らなかったのかもしれない。
 
針谷夕雲は無学文盲の身で、おそらく琥珀禅師よりエキスを注入に及んだのだろう。
処が小出切一雲は、若き頃には医学を志し学問に傾倒したので「老子道徳経」ぐらいお茶の子さいさいで読破する素養を持ち合わせたに相違ない。
孔孟の教え、老荘の教えは云うに及ばず仏教も道教も当時の最先端の学を熟せる力量の持ち主であったのだろう。
まさに、文武両道に長けた人物だったろう。
 
わたしなどその原書の一行すら読めっこない。目と頭がくらくらするだけだ。恥ずかしい情けない。
 
なお、自己宣伝はよろしくないが、マイブログ六月十六日号下手糞老いぼれ剣士の夕雲考《10》及び六月二十一日号同じく《11》にて掲載済みです。
 
まとめ(2)
 
 ⑤ 直木三十五は「剣法夜話」の中では夕雲の「相抜け」には一切触れることはなかった。
但し、夕雲と一雲は老子道徳経を学習し、「谷神傳」の何たるかを予知していたはずだとし『平常無敵流』はもとより、夕雲の兄弟子たる神谷傳心斎の「直心流」とも相通じる間柄だったのだと推察した。
つまり、命のやり取りする剣客が、生死のことから離脱し生死を超越した処の剣法を模索したことに共通点を見出した。
「無住心剣」という夕雲流剣術も、その剣法に相呼応したことになる。