老いぼれの夕雲考≪132≫

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夕雲流剣術書     小出切一雲 誌(58)


 


 


小出切一雲は文武両道に長けたお方であられ、おのれの信念を貫き通す鉄の意志の持ち主でもあられのでありましょう。


また辛辣な眼で世相を切り捨てる毒舌家でもあられたのでありましょう。


 


【若し又學者に在ては眞實の學者なるべし、凡そ心をきわめ天命を知るとならばたとえ天地が忽ち微塵に成るとも、聊變動するの氣自己には有るべからず、況や其外の一切有爲世界の諸慾の上にて論ぜば、天下を授受するの所にいたっても、義と不義との了簡をするは格別なり、是が爲めに慾心を動かして、天理に迷ふ裁判は有るまじき事なるに、夫程の大きなる事にもあらず、僅かの地震雷動にもをびただしく膽をつぶし、或は僅に三百或は四五百石の知行分限の沙汰にさへ慾心動かして、兼てより所持する人は、失はん事をおそれて、義に暗らみたる言行を為し、始めより所持せぬ輩は、是を求め得んがために、義をわすれて人に諂ひ行き、片息に成りて駈け走る、一生面々の命數は長くとりて六十年、其外三十年四十年を我がものにして積み重ね來たるなれば、忽ち只今死に及ぶとも損と云う程の事もなし、其上今日の儀必ず死に極りたらば、脇目をつかうべき仔細もなきに、恥を忘て穴隙をくぐりて成りとも死をのがるる謀をなし生を延ぶる術を成す類、近来の學者に卓散ある事也、愚の上の至愚言語に斷たる所なるべし、】 


 


真実の学者ならば


 


もし、学者なら真実の学者にならねばならぬだろう。


凡そ、真理を究め天命を知るものならば、譬え天地が木っ端微塵に砕けようとも些かも変動する気は己にはあるはずがないのであります。


いわんや、その外の全てをこの世の欲望の上で論ずれば、天下を遣り取りする話になっても、正義か正義でないかを識別する道徳的判断は特にこれがために欲念を働かせて、天然自然の道理に迷うようなことはあってはならぬことになりはしないだろうか。


左程、大したことでもない、微かな地震や雷にも大袈裟に胆をつぶしてみたり、或いは僅か二三百石か四五百石の知行高のご沙汰にさえ欲深く振舞う。


兼ねてより、物を持ちたる者は失うことを恐れて義理を見失うような言行を示し、また始めから物を持たない輩は物欲しそうに義理を忘れて人様に諂いながら息を取り乱し駆けずり回るのであります。


各々方の寿命は長く見てもせいぜい六十年ならば、その内の三十年や四十年は自分のものとして積み上げてきたのなら、急に今ここで死に及ぼうとも、あながち損というほどのことでもないでしょう。


その上に現今の正義というものを真剣に追及したならば横目で傍観する理由もないので恥を省みず穴隙を潜り抜けるようにして死から逃れようと策略したり、生き延びる事のみに汲々とする類いの者は近頃の学者には大勢いるのである。


 愚かなる事この上なく、まさに言語道断、とんでもないことなのであります。