老いぼれへぼ剣士の夕雲考《48》

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針谷夕雲は、何時何処で生まれて何年に何処で亡くなったのか、そんなことすらよく分からない人物らしい。
その道のエキスパートが詮索されるが、今以って不明らしい。
ネットで検索すれば諸説紛々出ては来るが、わたしにしたらどうでもよい。
人を斬って当たり前の時代に、人を斬ることに躊躇の念を指し示した人物であったことだけで充分なのです。
 
今日から始まった「新撰組血風録」の再放送を被りつきで視聴しながら、猶の事そんなことを思い巡らせた。
 
『夕雲流剣術書』ーはじめに(3)
 
 
針谷夕雲のこと=その3
 
 
針谷夕雲は、生年不詳で1669年(寛文9年)没説と1593年(文禄2年)生まれ出1662年(寛文2年)没説等あるが、江戸八丁堀にて70歳前後にて病没している。
生誕の地は、上野国の針ヶ谷(現在の埼玉県深谷市)であったという。
当初は針ヶ谷五郎右衛門を名乗るが晩年に夕雲と改めた。
身の丈6尺(180センチ)の強力で刃挽きで強引に戦ったという。52連戦無敗を誇ったという。
直心影流の第4代道統者小笠原源信斎の愛弟子で、師が明国から帰国した後に入門した。