老いぼれへぼ教師の回想記《49》

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先日、クロユリGさんと一献交わした。
Gさんは、わたしのブログへの数少ない来訪者でいられると同時に、貴重なるコメンテーターのお一人でもいられる。掛け替えのないお方だ。
其のGさんは、恰も天女のように天空を舞い、深海の海底を彷徨いサンゴに頬擦りされる。
また、名高き名峰の数々を見事征服され、更にはサイクリングロードを縦横無尽に所狭しと走破される。
喜寿を迎えても、なお此の健在さは驚嘆に値する。
実は、あの当時鳴中の音楽準備室にてハイジーのアニメソングを収録した際お手伝いいただいた寺賀先生が、此のクロユリGさんに他ならないのです。
 
その四 鳴中や通り過ぎたり駆け足で(10)
 
プリント学習=その3
 
学力を涵養するより、徹底的に学習力を身につけることに重点を置いていた。
随分と前置きが長くなったが、私が 鳴和中で第二学年を担当した折に、この『自学』学習もどきと言おうか猿真似如きの猿芝居を演じてみた。
今井知愛先生もお付き合いしていただいたので心強かったことを思い出すのである。
 傑作だったのは、学習中のBGMよろしくフォスターの愛唱歌とかアニメ漫画のアルプスの少女ハイジーのテーマソングやイギリス民謡などの録音のためよく音楽準備室の寺賀孝先生を訪れたことも併せて思い出す。
 勿論、テープ視聴のテレビはもとよりパソコンとてあるはずがない。
 教科書と手持ちの参考書に限られていたのだが、当時の鳴中の生徒たちは極めて温順だったことははっきり覚えている。
ただし、残念ながら学習力はおろか学力とてとてもじゃないが定着したとは言い難いのである。
生徒諸君に多大なる迷惑を強いただけであっただろう。
申し訳なかったと思う。今考えてみれば手抜き授業と非難されても仕様がないのである。