うらなりの記《48》

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寺町妙典寺山門
 
 母方の御先祖に津田玄蕃がいたのだという。とんでもない言い伝えであったようだ。
 それは、根も葉もない妄想ごとき幻想として物の見事に潰え去った。
 処が、奇しくも此の玄蕃の時代に同じく前田の殿様に仕官する同姓の一人の人物がクローズアップされた。
 
その四  母とし(3)
 
津田家の人たち=その3
 
斯くなる以上は妙典寺にて過去帳を紐解く以外方策がない。
処が住職に伺いを入れるが手続上極めて煩雑にして、尚且つ膨大なる史料の中から該当する事柄を詮索するは至難の業だと指摘された次第なのだ。
目下のところは二の足を踏む思いなのだ。後刻、最終的に判断しなければならない。
ただ、一抹の光明として以下の如き事実に辿り着いたのである。
それは既述した石川県姓氏歴史人物大辞典(角川書店)の三百五十四㌻に加賀藩士の一人として津田
清三郎近猷 (こんゆう)なる一人の人物に出くわすことに始まる
 その出典に基づけば、加賀藩五代藩主前田綱紀に五〇口で仕えた津田一幽近光の後裔に当たるのである。