独り言

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昨日は市連稽古納め、年甲斐もなく顔を出す。
年寄りの冷や水と言われぬよう、姑息な小技を戒めて足から前へ突き進む打ちだけをおのれに言い聞かせた。
元太刀の前に並ぶ長蛇の列を掻い潜り、要領よく振る舞うには少々の図々しさと勇気が要る。
先ずは、N先生にお願いした。
地元では脂の乗り切ったベテラン剣士、恰幅よし。恐れるに足らずと、右足を攻め込みながら正面に飛び込むが有効打には成り得ず。
攻めの気勢がないのか、見て取られてしまう。
強烈な出小手を二三本戴く。
N先生は手抜きされることなく真剣に打ってこられた。
先生の誠の気持ちがうれしかった。
先生は、“わたし同様右手に頼ってますね”と忠告された。わたくし同様の一言が、この先生のお人柄を偲ばせた。
次いで、森本のM先生に掛かった。
構えが巌のように不動だ。あらゆる手段を講じて掛かるのだが守りが堅固で微動だにしない。
守りが固いのは、やはり名は体を表す通りだ。
隙あらば、どことん畳み掛けるように攻撃の手を緩めない。
参りましたと言わざるを得ない。
わたしは、小手に行った。先生は、それを抜いて片手からの鋭い面を放たれた。見事に喰らった。
この時も、参りましたを頭を下げた。
先生からは、“お若いですねと褒められた”“それだけが取り柄です”と応じた。
3人目にお若きT先生に掛かる。
年こそ若いが、剣は老練だ。
わたしが、懸命に正面打ちを繰り出せば先生は恰も打たせるようにわが身を呈して、後の先にて相の面打ちに応ぜられる。
決して、打たせるべくして面を空けるのではい。
わたしの打ちを引き立てながら、自分も冴えある鋭い面を打ってこられるのである。
彼女は、わたしの年齢を勘案された活人剣の持ち主であったに違いない。
終わり際に、N兄弟とお相手する。立派な小学生剣士に成長された。やはり、DNAは争えないと思った。