老いぼれへぼ教師の回想記《》53

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今や、就活塾や就活ゼミがあり、また就活ナビとか就活応援サイトなどIT社会がとことん浸透してしまった。
情報を収集し処理する能力が、実質問われるらしいが、それ以上にバブル崩壊後の「氷河期」は今や「超氷河期」に至り、その残酷さ非情さ深刻は言語に絶する。
とにかくバスに乗り遅れないように就活に齷齪し、お勉強どころではない。
メールの書き方、髪型、スーツやコートの事まで規制されて哀れの一語。
 もはや、政権交代は夢と消えた。
与党も野党もへったくれもない。党利党略はまっひら御免だ。
もう、こうなったら政界再編しかない。
とにかく、国を動かしてほしい。
いろんな分野で日本国は停滞したままなのです。
本当に頼みますよ。
 
むかし、就職課の前の薄暗い廊下の掲示板に押しピンで止められた企業案内の紙面を漁ったことを昨日のように思い出す。
 
 
 
 
その五  挑戦と試練挫折の河北台(1) 
 
士族の商法=その1
 
 米尾校長へ高校転出を具申した。いかにもトップらしい熱中校長だった。
少しばかり繊細すぎる嫌いはあったが、気風がよかった。
よし、任しなさい。引き受けたよ、県へ掛け合ってみると自分の胸をぽおんと叩いた。
 後日、社会科は補充の必要がないらしく無理だったよ、商業科で頑張りなさいと背中を押された。
 自身の昔を回顧してみるに、そもそも教師の道へ足を踏み入れた切っ掛けは、昭和三十四年当時の日本経済はまさしくなべ底景気で小松製作所、栗本鉄工、四国電力等々から門前払いを喰らってしまい憂き身をやつしていた。
忘れもしない就職試験のため単身で東京の赤坂へ小松製作所社長河合良一氏を訪れた折その社屋の余りの威容に圧倒され心底ビビッテしまったことを苦々しく思い出す。
戦う以前にして敗退同然、まさに剣道で言う四戒四つの病に冒されていたのである。 
実力を宿すこともなく上っ面だけの見栄っ張り根性を、虚心坦懐に恥ずべきだと思う。
身の程を知り、身の丈にあった三流企業や四流企業と心中する気概でことに当たれば或いは別の人生が展開していたかもしれないのである。