従姉妹の美樹ちゃんが古びた仏壇の隅っこの奥まった箇所で見付けてくれた津田家過去帳によりすべてが氷解した。
県の姓氏歴史人物辞典には一幽とあったが此処では一友となっている。
五代将軍綱吉の治世で、元禄期に入る手前の貞享4年に津田一友は妙典寺にて葬られている。
七代津田清三郎近猷、そして八代津田近吾とあることをこの目で現認した。
ただ、清三郎近猷は妙典寺ではなく野田山に葬られたのはどうしてであろう。
確かに不自然さがあって、其処のところを今少し深掘りしたら面白いだろうと思ったのだが・・・
その四 母とし(7)
津田家の人たち=その7